高吉友美の65%は魔法で出来ています
高吉友美の24%は歌で出来ています
高吉友美の8%はマイナスイオンで出来ています
高吉友美の3%は言葉で出来ています
ハイラックの90%は希望で出来ています
ハイラックの8%は歌で出来ています
ハイラックの1%は濃硫酸で出来ています
ハイラックの1%は心の壁で出来ています
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こんばんわ。
長らくここには来ませんでした。
恋人が日記を始めた。
“日記談議”。
彼は、誰にも見られることのない日記を、毎日正直につけてる。
あたしは、見られても見られなくても、やっぱり正直を見失う。
で、バランスを。
どうやったらいいかなあ。
書きたい時が来たら書こう。
来たかも。しれない。
本当はずっと書きたかったかも。
けど、ずっと書きたくなかったのかも。
リリー・フランキー「東京タワー」読み終わりで再スタートします。
つい今しがた、山手線の中で読み終わった。
これを読んだことで色んな出来事があった。
読まなくても、時間の流れていく中で、もちろん色々あった。
文字も文章も、とにかく大好きだから、まずは“読み仲間”のハヤ子(実母)に教えた。
けど、親子会で外出中とのことだったから、父さんに言付けた。
「オススメしといてね。」
数日後、やっぱやめようと思って急いで電話した。
言付けはきちんと失敗に終わっていて、取り越し苦労ですんだ。
読み始めは単に面白かったんだけど、いま西武線で長く読んでいたら、取り返しのつかない展開になってきた。これは元々ハヤ子の話で、実体験で、読むまでもなく、読んだら乾いたはずの大地がわざわざまた緩むから、だからやめておいてくれと頼んだ。
でも、そこまで言ってしまったし、あんまりその理由を聞くから、仕方なくハヤ子に真相を教えた。
「考えたことがなかったんだ。お母さんがじいちゃんの病院にどんな気持ちで出掛けていたのか。1時間半もかけて車を走らせて、あたしと弟の機嫌を取るためにでっかいデパーによってくれたり、おいしいソフトクリームを買ってくれたりしていたのか。嬉しかっただけでその時間を滑ってたんだ、あたしはその頃。お母さんも、なんだか楽しそうに、勝手に映っていたんだ。
だけどやっと少し気づいてしまったから、お母さんが心底可愛そうになった。大変だったね、ごめんね。考えたことがなかった。何度もそんな機会はあったんだと思うんだけど、もうこんなに大きくなってしまって、間に合わなかった。あの時のお母さんに声をかけられるなら、初めて思うけど、時間が遡ってしまっても黙って目をつむるよ。声を聞きたい、じいちゃんとお母さんがしゃべってる声を。ああ、あたしはまだまだ馬鹿な子だ。」嗚咽まじりに川沿いを歩いた。ハヤ子は電話の向こうで大笑い。
くしくもあたしのバイト先からは“東京タワー”が実にいい眺め。
こんなもの見てるあたしは、到底浮ついていて、足下がおぼつかないでいる。
大好きなひとたちがずっと遠くであたしを探す目印にしている赤い細い寂しそうな塔。
どうして折れないんだろう。なんで分かってしまうんだろう。
赤いから?高いから?
違うんだね、ここになかったからなんだ。
みんないまだにびっくりするんだ。あったことに。できたことに。建ってることに。共有できることに。明るいことに。
誰の原風景に、あんなひょんなものがあるっていうんだろう。
けど殊更あいつが惹き付けてしまうのは、“瞬き”だからなんかな。
そんなものを夜な夜な眺めているあたしだけど、“勇気”とも“希望”ともあなたを恐れたりはしない。所詮“瞬き”なんでしょう?
あなたが背負う多くの恐れに比べたら、あたしのは一握。
それを精一杯握りしめるつもりで、ここへはやって来たんだよ。
大きい小さいは距離の問題。もっと言えば、近づける機会の問題。大問題。
なんだかやっぱりまとまらないけど、そうそう、月曜に見に行った「エミリー・ローズ」の大きな違和感。
あたしはもう概念として持ってるんだけど、“生きてるひと”を“死人”が殺せるのは変だ。
“生きてるひと”はひとりでやってけてるわけじゃないんだから。
かつて愛してくれたり愛してくれているモノモノの意思の繋ぎ合わせの中で此処に立っている。個々に建っている。半端ない数、重量。
突然現れたんじゃなく、紡ぎだされて堆積した一連の時の流れ。
大事にする。
4月に誰かは言った。あたしが言った。
「初めまして東京タワー。あなたの友達になってもいいよ。」